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花のある暮らし。花のあるインテリア。花のある人生。
栗、再び
2013年9月19日
秋らしい花材もかなり出回ってきていますが、ここ福岡ですと9月はまだまだ日中は暑くなります。前回、栗をいけてから、三週間が過ぎてしまいました。そして今回も、栗。配材は鶏頭、竜胆、そして薄です。今日、9月19日は、中秋の名月で満月だったのです。
朝晩はそれなりに涼しくなってきているとは言え、屋外の様子を見ると、秋の気配は今ひとつ。食欲の秋を期待しながら、秋の花をいけてみるのも良いでしょう。暦の上では、とっくに秋です。
栗は矯めが効くことを思い出したので、優しい曲線を作ってみました。薄の手を加えない自然で奔放な曲線と相まって、良い感じになったかな? オレンジ系の鶏頭は、重くなりがちな形を色で補っていて、カジュアルな印象を与えます。
全景写真 [1]
実に久しぶりに
2013年8月27日
結局のところ、夏の間はほとんどお花をいけることもなく、ただ暑い暑いと言っているだけでした。もちろん、まったくいけていなかった訳ではないのですが、写真を撮ってサイト更新するほどの出来映えでもないような感じだったりして、二ヶ月ぶりの更新となりました。
ここ福岡では、実際にはまだまだ暑い日が続くのですが、時節としてはもう秋の花材となります。今回は栗と菊という、お稽古花的な取り合わせ。花材費も安く上がります。何度も言ってますが、値段の安さは季節の花材を使うメリットとして大きいものです。継続的にお花をいけ続けるためには、花材コストは無視できませんからね。お花を飾ってなくても生活に支障が出るわけではありませんし、夏の間も普段通りに暮らしていましたが、やはり生のお花が飾ってあると良いなあ、と感じます。その「良いなあ」感のために払えるコストが数百円なのか数千円なのか?私にとっては、もちろん安い方がありがたいわけです。
久しぶりにちゃんと花瓶にいけたので、リハビリも兼ねてシンプルな空間構成を心がけました。奇をてらわない感じ。いやむしろ、奇をてらうことを意識したことはほとんど無いんですけどね。いけ手の個性が「奇」だったら、そのお花もそうなるでしょう。あるいは、個性ではなくて気分かもしれません。
全景写真 [1]
お花を贈ること、もらうこと
2013年6月20日
あら素敵な花束、って思ったら、警固のun pas製だったりしたわけで。普段、花材としてしか買わないお花たちも、完成品の花束のカタチになっていると、それぞれふだんと違った雰囲気を見せてくれたり、あるいはいつもと同じ安定したイメージだったり。お花屋さんはプロですし、お店毎の個性というか特色もあるでしょうし、だけどそういう違いの部分って現代のフラワービジネスにおいては、お花そのものというよりは、包装紙とかそっち系のいわゆる外装だったりするのかな?という気もしなくはないですね。ま、素人の勝手な印象ですけども。
まあ何にせよ、いくら保水の手間をかけてあったとしても、花束のままでは一晩越すのも困難ですから、花瓶(ていうか元はビアグラスなんだけどね)にいけ直し。なるべく元のイメージを崩さないように、とは言っても、そのままだと器とのバランスに欠くから、若干大きめになるように・・・。
ここのところ出張ばかりで、家に居る時間が短かったので、お花をいけることもできなくて、お花パワーが空っぽでしたので、貰い物の花束でも十分過ぎるくらいでしたよ。ありがと。
全景写真 [1]
もう二度と会えないかもしれない
2013年5月25日
色彩的には赤からピンクが基調になっていて、いわゆる女の子っぽい感じではありますが、ドラセナのダークレッドがぐっと引き締めていてある種の大人っぽさも感じさせるコンビネーションになりました。芍薬も花色は様々ですが、今回は淡い桜色のものです。一般的には赤を思い浮かべるアンセリウムですが、今日のものはピンク色、それも彩度の高いものです。このド派手なピンク色は、花材として使うにはややもすると下品な印象になりかねない危険色ではありますが、ピンクのグラデーションの中で使うことでまったく違和感無く馴染んでいて、かつ存在感も出せている状態になったと思います。
葉や茎の緑色は、多くの種類の花材において、その存在を隠すことはほぼ無理です。結果的に緑色+花の色の組み合わせになります。緑色と言っても、黄緑色から濃緑色まで彩度と明度の組み合わせで様々です。花の色はそれこそ千差万別です。そして、葉や花にとっては、色だけでなく形や大きさも重要な要素です。これらを任意に組み合わせてお花をいけることになります。
年中入手できる花材は多いですが、種類は同じだとしても色や形はそれぞれ異なっているわけで、その組み合わせはまさに一期一会です。特に、花頭部分の集合体として構築するフラワーアレンジメントと異なり、いけばなの場合は茎や葉も活かすことが多くありますから、なおさら同じ花材には出会えないものです。そして、その花材たちの組み合わせですから、もう一生かかっても二度と会えないものだと言えるでしょう。そう考えると、一本一本の花材に対して、真剣に向き合っておかなければ失礼に当たると言うか、もったいないと言うか。惰性でお花と向き合ってたらダメダメですね。
全景写真 [1] [2]
いつもと変わらぬ日
2013年5月12日
母の日と言えばカーネーションですね。花材的には年中入手可能ではありますが、この時期は需要の高まりに比例して相場も上がりますので、普段よりはカーネーションを選択しづらいのもまた事実です。普段よりも割高な花材をわざわざ買う必要も無いので、避けて通っていたんですが。
ところが、母の日のカーネーション需要の思わぬ影響がありました。近所の大規模スーパーで母の日キャンペーンをやってて、カーネーション一本だけですが無料で配ってたんですよ。それをテキトーな花材を取り合わせて今回のお花が出来上がりました。ひまわり、紅花、背高泡立草、ドラセナ、そしてカーネーション。花色は、赤〜オレンジ〜黄色のグラデーション。いけ終わってみると、いつもの感じ。
正面からの写真だと、もう全然ダメダメな感じにしか見えないんですが、現物は明るく楽しい雰囲気に仕上がっているんですよ。全体の姿の撮り方をもうちょっと工夫しないといけませんね。ほんと、こればっかりはなかなか難しいものです。
全景写真 [1]
失われていくもの
2013年4月22日
新年度とかあんまり関係無いのですが、みごとに一ヶ月以上お花をいけていませんでした。こりゃイカンということで、疲れてスタミナ減ってる状態だったにも関わらず、がんばって、どうにかこうにか、いけ終わって、写真を撮り、データ整理をしたところです。このくらいのインターバルが空くことは、これまでもしばしばあって珍しいことではありません。その都度、腕が落ちたなあなんて感じたり、何回かいけるとまた復活した気がしたりするのものです。
しばらくお花をいけていない場合、実際のところ、何が失われていくのでしょうか。いろいろな考え方があると思うのですが、最近では、それってもしかして「お花からもらうエネルギー」なのではないかと考え始めています。お花をいける技巧であるとか、空間あるいは立体を構築するセンスは、そうそう短期的に変動するものではないと思います。それなのに、ちょっと時間を置くと、どうも下手な感じになってしまいます。
いけ終わった作品としての花からだけでなく、いけている途中の段階から、お花エネルギーが充填されるのです。そしてそれは数日は余裕で持つけど何週間かすると失われちゃって、一ヶ月もすると空っぽになってしまいます。だから、週に一回くらいはお花に触れて、お花エネルギーを補充しなくてはならないわけです。
全景写真 [1]
自分へのメッセージ
2013年3月18日
深層心理では、おそらく、自分自身に対してちょっと落ち着けよって言っているんじゃないかな、と、いけ終えてから感じました。花材に応じて花器を選ぶ段階では、普段からあまり躊躇はありません。どんな仕上がりにいけるかは、いけ始める前で半分決まっていて、いけながら残りの半分を仕上げていくような感じになります。途中途中ではあまり考え込まないで、感じるままに手を動かしています。
最初に出来上がり状態のお花を想起する時点で、気分や体調や気になっている事項やちょっとした悩み事や、そういったいろいろな心の動きが影響しているようです。今日いけたお花から、抑制であるとか、一息付けよといったイメージが感じられたのは、今の自分がそういったものを求めているからかもしれません。
実際のところは、お花をいけるという行為自体に気分を落ち着かせる効果があります。だから、いけ終わった時にある程度の鎮静的な心象を得たのでしょう。実際にはそうだとしても、あるいはそうでなかったとしても、自分自身がいけたお花や、お花をいけるという行為の結果として、予期していなかった心の声を聞くことができることもあった、というわけです。抽象的な話題で申し訳ないです。
全景写真 [1] [2]
攻め続ける姿勢
2013年3月1日
気分的にアグレッシブな時にお花をいけると、どちらかというと破格な感じ、攻めている感じ、暴れている感じの仕上がりになることが多いようです。今回は、こでまり、バラ、ミモザアカシアの3種類の花材を使っています。色彩的としては、白い花がメインで、黄色が差し色となっています。
枝のカーブをどのように使うかが、こでまりや雪柳を主材とする際のポイントの一つです。元気の良いラインを作りたかったので、上下や前後の振りも含めて立体的な構成にしています。例によって写真では表現し辛い部分ではあります。こでまりの曲線に対して、バラは敢えて長め、かつ放射的な直線となるように位置付けてみました。曲線と直線の対比がうまく構築できているかしら?
いつも通りであれば、こでまりの曲線に対応して、優しい印象を与える仕上がりにするところです。ですが、今日は攻める日でしたので、優しさよりも活気が溢れる感、いろいろな方面に向かっている姿勢を強調する結果となりました。敢えて、意図を持って、いつもと異なる雰囲気のお花をいける。そんなふうに、一つ所に留まらずに進み続ける姿勢、これを忘れずにいたいと思っています。たとえそれが迷走であっても。
全景写真 [1] [2]
たまには挑戦して失敗するのも良し
2013年2月20日
この前の桃はけっこう花がほころんでくると同時に、配材が痛んで落ちたりして、当初の姿を維持できなくなりました。こんな時、追加の花材を使って第二景に繋ぐのも良いのですが、その追加の花材だけで別の小品をいけるのも良いでしょう。今回は、追加のチューリップも鶏頭もカーネーションも、ヘンテコ系の姿形のモノが揃いましたので、その個性のせめぎ合いを表現してみようと思い立ちました。
これは剣山を使うよりは投げ入れにしたいな、という気分だったので、花器は・・・と、目に付いたのが、シロナガスクジラ柄の水差し。有田の渓山窯の作品です。五本だけの花材、それもユニークなカタチのものばかり。さて、どんなふうに仕上げようかな?
このくらいの規模のお花であれば、いける作業自体はほんの数分。ちょっと手直ししたりはしますが、原則として最初のインスピレーションに基づいて手を動かすだけです。インスピレーションまたはイメージを具体的な花形にする脳内作業と、その形の通りにいけるための技法の二つが必要になります。後者は、経験を積むことである程度までは誰でも習得できる技術。そして、それとは別に必要となってくるのが、想像力であり創造力となります。こればっかりは、ね。
わたしは10年くらいかけて、表現の手段としてお花をいけることが、まあまあできるようになってきました。それでも、お花との勝負に負けることもあります。で、タイトルに戻る。もっとも、お花たちは、勝ち負けなんて考えることもなく、ただそこに在るだけ。
全景写真 [1] [2]
ちょっと早いけど遅れるよりはマシ
2013年2月11日
外は寒い盛りではありますが、お花の世界ではもう春の花をいけないといけない季節になって参りました。単に季節を先取りするのではなく、春を待ち切れずに溢れ出すワクワク感を表現するものなのです。
二月の福岡と言えば、露地植えの木ですと梅の季節ではあります。ところが、お花の世界では梅はお正月に使ってしまうんですよね。それと、露地物の花木は、咲いてるものとか咲き終わってるものとか混在してて、正直なところなかなか使いにくいんですよね。私もお花を習い始めた当初は、どうしてツボミの花材ばっかり使うんだろう?と不思議だったのですが、慣れてくるとやはり全部の花材が満開になっている状態(バカみたいに咲いている、と言います)というのは、なかなかいけにくいものでした。
今日の花材は、例によってスーパーの花コーナーで求めたものです。全部で千円ちょっと。桃があったので、ちょっと早いとは思いましたが主材に選択したのは良いのですが、配材がなんかどうもやっぱりちょっと雰囲気が合いませんよ?という感じのものしか売ってない。桃の枝は長くても、桃の花のツボミはちっちゃいです。そこに大きな花弁の花材を組み合わせると、よっぽど桃の枝を長く使わないとボリュームとしてアンバランスになってしまいがちです。こういう時でも、入手できる花材を組み合わせてなんとかしなくちゃ。それが、難しくも楽しいのです。
写真に撮ってみると、桃の枝の線が重なったり交差したりしてて古典的な花型としてはズタボロに見えてしまうのですが、もはやそういうしがらみを捨てて楽しんでいるので良いのです。それでも桃は邪を祓ってくれると信じています。写真を撮り終えてからちょっと手直ししたくなることもしばしばありますがね。
全景写真 [1]
寒いけど平常運転
2013年1月28日
松の内も過ぎても、お正月花の花材、特に松なんかですと、まだまだ全然問題無く飾っておける状態を維持しているわけです。しかし1月も月末になってくると、さすがに松じゃあないよね、という気になってくるものです。寒い季節ですから、他の花材の痛みも少ないです。冬って花材の持ちの点ではとても優れています。
昨年の今頃は、花展の最終準備でドタバタしていました。今では懐かしく感じますが、それと同時に一年間というけして短いとは言えない期間が、あっという間に過ぎ去ってしまったことに驚きを隠せません。ビビります。こういうふうにして、すぐに年を取ってしまうんだな、と。
今回の花は、お正月花の生き残りのスイートピーと小菊に加えて、いつもの如くスーパーで100円の束を2つ追加して、テキトーに可愛らしく仕上げました。出来はそんなに悪くないとは思うんだけど、写真で見るととても雑然としているなあ。そんなあたりも、いつも通り。
実は今回からカメラを換えたのですが、レンズが同じなので絵柄的にはそれほど変わりません。ただ、解像度が高くなった分だけ、トリミングの自由度が上がっていて、後処理が楽になりました。データは重いんだけどね。
全景写真 [1]
あけましておめでとうございます
2013年1月1日
このサイトを現在の内容で立ち上げてから、ほぼ一年が経過しました。そして新しい年を迎えるにあたって、2012年の反省と2013年のお花生活の抱負を記録しておこうと思います。
2012年は2月に個展「極私的花空間」展を敢行し貴重な経験をすることができました。お運びくださった皆様、ありがとうございました。その後は、いけたお花は写真を撮って、このサイトに載せてきました。その数、20点。多いのか少ないのかと言うと、そんなに多くはないです。12月は結局一度もいけられなかったため、秋の次がいきなりお正月ですし。クリスマス花が無かった年は珍しいわけですが、今年はクリスマス用の花材を求める余裕が有りませんでした。
自分でも一年間よく続いたな、と思います。毎日は無理だとしても、月に一回か二回くらいはお花をいけて、写真を撮ってサイト更新して、というくらいの時間的余裕は欲しいですからね。そういった意味では、2013年も昨年と同等以上の数のお花をいけるのは最低限の目標ですし、それができないくらいならサイト閉鎖したって構わないとも考えてます。そしてもう一つ、何らかの形で、花展的なコトをまたやりたいと漠然と感じています。具体的なプランは全然立ってないですが。次の花展、今のうちから考えておかないと、春には間に合わない気がしています。前回は二ヶ月半くらい前に思い立ってギリギリでしたからね。まあ、ギリギリだったのはギリギリにならないと本気が出ないからですけど(笑) まあ、秋でも良いですし。
さて、お正月花。大王松や若松、千両に菊といった典型的な正月花材に加えて、ピンクッションやリューカデンドロンといった変な形の花、金魚草とスイートピーのピンク色、そして菜の花と菊の黄色で盛りだくさんで元気いっぱいにいけました。正面写真だけですと、後から自分で見てもどういう立体だったか思い出せない気がしたので、正面斜め上から見下ろす形の写真も用意しました。余談ですが、私が実際にお花を挿す時の視線ってこのくらいの感じなんですよね。もちろん、正面や横から見て確認することは欠かせませんが、私は背が無駄に高いので、基本視点はかなりの見下ろしになるのですよ。
全景写真 [1] [2]
秋はやっぱり菊だよね
2012年11月20日
二週間前にいけたお花のうち菊だけは生き残っていて、更に応援が駆けつけたため、結果的にいろいろな色や形の菊が集まりました。バリエーションが豊富で、そのうえ安価に揃えられるので、秋の菊はもっとカジュアルに楽しむべき花材だと言えます。
今回は濃い紫のスターチスがゲストで入っています。紫の菊がちょっとピンクがかった薄い色だったこともあり、紫を類似色で強調する形になりました。いや実は、濃い紫色というのは私はあまり好きじゃないんですよね。その理由は大好きな色である黄色の補色だからかもしれないです。
全体の写真は納得行かない出来映え。いけ手である自分自身の意図がぜんぜん表現できてないわー、こりゃダメだわー。しかし全景が無いと記録にならないわけで。泣く泣く掲載。これをバネに上達すれば良いんですが、ね。
全景写真 [1]
芸術の秋
2012年11月4日
芸術の秋はどこかに行ってしまったのでしょうか、スポーツの秋や食欲の秋を満喫していたため、三週間ほど新規にお花をいけていませんでした。前回使った花材のうち、鶏頭は早々に痛んでしまったのですが、柳やユーカリは長持ちしますからね。
今回の花材も、例によってスーパーの花売り場なわけです。その名も「秋の花束」として、鉄砲百合・黄白紫の菊・竜胆が各1本が入って398円。そして紅葉してきた雪柳98円を2セット。わずか600円でこのくらいモリモリにいけることができれば、私としては満足です。
雪柳を立てて使って、燃え上がる動きを表現したかったのですが、正面から撮った写真では全然ですね。というか、まあもう少し本数が必要だったかな?という気もしますが。立体的なかたちの表現を写真で切り取るのはやはり難しい。考えどころです。
最近は、秋らしいどころか、朝晩にはかなり冷え込むようになってきてました。冬になればなったで季節の花が減ってしまいますから、花材が豊富な秋の一時を楽しまないと。
全景写真 [1]
願いと思い
2012年10月16日
一昨日の第三形態はまったく問題無く玄関に飾られているわけですが。心機一転ということで、枝ものの基本中の基本とも言える柳の登場です。願いは叶うものです。今回は久しぶりに花瓶にいけたのですが、この花瓶も初登場の変なカタチのものであります。口が大き目なため、どちらかと言えばいけばな向きではありませんが、縁がでこぼこになっているので口径の割にはいけ易いものでした。
ここのところ剣山ばかり使っていたので、枝を留めるカンドコロが若干怪しくなっていて、ああやっぱりな、という感じ。出来映えとしては、根締まりは良くないし、枝の整理も付いてないし、矯めの効かせ方も甘いし、まあ散々なわけですが(笑)とりわけ、写真で見ると前後の振り具合がなかなか分かり辛いこともあって、とても下手っぴに見えます。
という感じで一通り反省をした上で、じゃあどういうふうにいけたら良かったのかしらん?と考えると、花瓶にいける限り、反省後の自分も、きっと似たような姿にいけるであろうことは疑うべくもなく。なぜならば、私のいける花は私の思いの表出なのですから。問題があるとすれば、その思いを形にする段階での技法上の問題。思った通りにいけられない、ってことだけです。
いわゆる技巧、テクニック。これは明らかに上手、下手が出てしまいます。でも、こんなふうにいけようと思い描いたイメージには上手いも下手もありません。自分の頭の中のイメージとどれだけ齟齬無く仕上げることができるか。このイメージっていうのは、花型としての花の姿とは限りません。言葉だったり、感情だったり、印象や雰囲気だったり。
全景写真 [1]
いけ直し、第三形態
2012年10月14日
予想通り、リューカデンドロンはまだまだイケる感じでしたが、竜胆は茶色い花びらが目立ってきたこともあって、花材の入れ替えをしていけ直しをしました。今回は花が開いていない白っぽい竜胆、ポンポン菊、吾亦紅を追加しています。360円分です。やすー。
薄はもう綿ぼこりみたいになってましたのでついに退場。新しい花材も、高めに配するのは避け、全体的に低めの位置に持ってきてみました。これは良かったのか、それとも悪かったのか?定石からは外れてるよなーとは思いますが、なんとなく若さと楽しさを表現したくてこういう風になりました。とか(笑)
こりゃもう一回くらいいけ直しをしても良いかな?なんて考えたりしないでもないですが、気分的にサボっていると言うか、攻めてない気もするわけで、次回はまた違ったお花をいけてみたいかもなぁ。そうこうしているうちに、年末になってクリスマス花とかお正月花の季節になりますしね。
全景写真 [1]
いけ直し、第二形態
2012年10月8日
毎年恒例となっている10月第1週の7日間出張を終えて帰ってくると、気温が低くなったとは言え、さすがに9月下旬にいけた花は約2週間経過して枯れ枯れになっているわけです。
でも、少しは生き残り、というか枯れてもへっちゃらな花材が含まれていたものですから、そこは残して一部の花材を入れ替えていけ直しをしました。本当は全取っ替えでも良いんですけど、栗とかもったいないじゃないですか(笑)
秋の竜胆は色が薄めで、まるでいけてから一週間くらい経って色が抜けてきたのかしら?とさえ感じる淡い薄紫色です。そして、バカみたいに開ききったリューカデンドロン。これも日持ちする花材です。
お花をいけて何かを表現する、という側面もありますが、それとは別に、家に飾ってあるだけで十分っていうお花のいけ方もあります。私としては、常に表現としてのお花をいけているつもりはあんまりなくて、まずは最低限、玄関にお花が飾ってある状態を年中維持して行くことを目標としています。お花での表現をサボっている時でも、写真で表現すれば良いのですからね。
全景写真 [1]
秋の気配
2012年9月23日
疑う余地無く例年よりも暑かった今年の夏ですが、ここ福岡では朝晩はそれなりに涼しくなり、エアコン無しでも寝れるようになりました。今年の秋分の日は昨日、9月22日でした。なので既に今日から昼よりも夜の方が長いわけで、これから冬至に向かってどんどん長くなっていくことになります。
今日の花材も近所のスーパーの花コーナーなわけですが、自動的に秋っぽい花材が増えてきています。栗とかススキとか。基本的には、「季節」の花として大量に出荷される種類の花こそが、その時々で最もコストパフォーマンスの高いものになると考えています。花売り場が秋の花材になると、ああ秋だなあと感じたりします。
秋の花材と言えばやはり菊ですが、秋はそれ以外にも様々な花材が出回ります。楽しみではありますが、古典的なお花をいけるための花材はやはりそこいらのスーパーでは売ってないわけで、わざわざ専門店に買い出しにいかなくてはなりません。花材をどこに買いに行くか決める時点で、だいたい方向性が決まってしまうとも言えます。普段は、仕事が終わる頃には花屋の営業時間は終わってるわけで。
楽しくお花をいけることができれば、まあ不満はありません。でも、たまには大振りな枝ものとかも扱わないと、自分のお花の幅が狭まってしまうよなあ、と、ちょっとだけ心配になります。
全景写真 [1]
なぜ、お花をいけるのか
2012年9月13日
そこに花材があったから。今日はピンクッション、ひまわり、モンステラ、吾亦紅(われもこう)、背高泡立草(セイタカアワダチソウ)があったので、黒いウォーターピッチャーにいけてみました。実は最初はもっと口の広い花瓶を使ってみたのですが、ちょっと花材の姿や分量と合わない印象があったので途中でやり直しました。
いや、ほんと、家に帰ってくると花材がバケツに入ってたりするんですよぉ。あ、お花を飾って欲しい人が居るんだな、と思うと、よーしいっちょやったるかー的にやる気が出るものです。きっかけはそんな感じのことが多くても、いざいけ始めれば、汗を流しながら手を使って、アタマを使って、心を使って。
お花をいけ終わったら、一息付いて、その次は写真を撮ります。また汗をだらだら流しながらね。ここで力尽きることもしばしばあって、今回もそうでした。いけたその時に写真を撮っておかないと、翌日はなんか違った感じに花材が姿を変えたり、弱ってしんなりしたり、痛んだりすることもありますからね。経時変化は致し方ないとしても、せっかくですから、自分の意図に一番近い状態で記録しておきたいものです。
なぜ、いけるのか?なんて考えることは、実のところ、ほとんどありません。ただ息をするように、朝起きておはようって言うように、大切な人に愛してるよって言うように、私はお花をいけています。
全景写真 [1]
幸せな気持ちになる
2012年8月28日
暑い日々が続いて、暑い暑い言っているうちに、一ヶ月もお花をいけていないことに気が付きました。もっとも、気温が高いとお花の痛みが早いので、せっかくいけてもすぐにダメになっちゃったりして、コストパフォーマンスが良くないということもありますから、花材を求めるのにもちょっとばかり勇気が要ります。
お花をいけなきゃ、とか、サイト更新しなきゃ、といった義務感はさらさら無いのですが、間が空き過ぎてお花の飾られていない家での暮らしが長くなってくると、やはりある種の潤いに欠ける気がして、なんとなく物足りないものです。生活におけるお花成分が低下すると、なんだか物足りない感じ。
そういった反動もあって、今回は花材を多めに買ってきて—とは言えスーパーで100円とか157円とかのものばかりなのですが—数えてみれば9種類。モリモリに元気良くいけまくりました。こんなにたくさん花材を使うと、ほんと、気分がスカッとするものです。ストレス発散しまくり。
出来上がり具合は、いつものように「ごちゃごちゃジャングル風味」なのですが、おそらく、いや、きっと、こういうのがオレは好きなんだから、これでイイのだ!と思っています。久しぶりにお花をいけて、満足して幸せな気分になる。その花を見て、誰かが幸せな気持ちになる。これで何の不満がありましょうか?
全景写真 [1]
いけばな、っぽく?
2012年7月23日
今日の花材は菊系が2つに、夏の定番和花・竜胆、そしてプロテアの仲間であるリューカデンドロン。私の好きなモリモリ系にするにはちょっと花材が足りない感じ。こんな時には、いけばなっぽく、シンプルに立体を構築してみようか?な、と。
材料が多いなら多いだけ、少ないなら少ないなりに、自由に、そしてそれなりに組み上げていくことができるのも、いけばなの面白さであります。とは言え、一輪挿しに一本だけですと、それはまた別の技法かな、と思いますので、やはり少なくとも3種類くらいの花材は欲しいですよね。そして、大きい仕上がりにしたい時は、大きな花材が要りますよね。モリモリにしたい時は、たくさんの花材が要りますよね。
無いものねだりをしてもしょうがないですから、今ここで使える花材を使う。という単純かつ絶対的な制約条件の下で、自分の好きなようにいける。自分の手に従っていける。誰かのためにいける。自分のためにいける。
最近はすごく楽しんでいけてるよなーオレ。と心から思います。幸せなことです。気楽にお花と向き合っているからかもしれません。花型とか気にしなくなったからかもしれません。自分なりのお花の楽しみ方が、なんとなくですけども、少しは確立してきた気がしています。
全景写真 [1]
出張費はいただきません
2012年7月8日
普段は自宅の玄関の花台に飾っている私のお花ですが、今回は特別な出来事があったので、自宅とは違う場所でいけてみました。後から考えたテーマは「色いっぱい」。いつも通りでないことで、少し不自由だったり、ちょっと新鮮だったり。ですが、特別な事情があったとしても『よそいき』のお花じゃありませんから、花材は道すがらのスーパーの花売り場で購入。花屋ですらない(笑) 157〜297円の小束を5個選び出して、総額で1000円以下。私のいつものお花の材料費なんて、たかだか数百円です。
花器だって、値段の張るものも持ってないわけじゃないですが、生活雑器あるいは食器もしばしば花器として使います。陶磁器だけじゃなくて、ガラス器も好きですね。今はもう入手できないのが残念ですが、かつて沖縄およびオーストラリアにあった「glass studio 游」のガラスは、コップやビアグラスから大振りの花瓶(2012/6/11に登場)まで何十個も持ってて、非花器にいけるきっかけをくれた思い出の器たちです。
いけばなを習ってた頃は、お稽古用の花器はほとんど全種類買い揃えました。それでも、週に2回お稽古してると、花器が足りなくなるんですよね。そういったことも、非いけばな花器にいけるようになった理由かもしれません。他に、実母が独身の頃に使ってた水盤や七宝も持ってます(出番は少ないけどね)。これってもうすぐ50年モノじゃないだろうか。
別に安さ自慢をするつもりも、花器自慢(全然自慢にならんし)するつもりも無いんです。ただ、お花って、いけばなにしてもアレンジメントにしても、お金かかるイメージあるじゃないですか? でも、花器は割れなければ一生使えます。花材だって、高級花屋やオシャレ花屋で買わなくて良いんです。お花を飾って、ああ奇麗だなーって思える気持ち、奇麗なものを奇麗だと感じることができる気持ちの余裕。それがすべての出発点。もちろん、お金の余裕がある人はじゃんじゃん使っていただいて構いません(笑)
全景写真 [1]
野っぱらの花ッコ
2012年7月3日
七月になったので、もう紫陽花でもなかろう、ということで夏の花材の登場です。初雪草(ハツユキソウ)、瑠璃玉薊(ルリタマアザミ)、竜胆(リンドウ)。思い立って今回は読み仮名を付けてみました。
初雪草は、おそらく初めて使う花材。過去にいけた記憶がありません。白と緑色の葉っぱの模様がカッコイイです。実のところ、小さくて白い花も咲いているのですが、葉ほどには目立ちませんね。そして、濃い紫色の竜胆と、名前ほどには紫色が強く出ていない瑠璃玉薊。紫系の色彩の対比は、残念ながら表現できていません。野っ原のように、ザクザクと、勢いでいけていますから、まあいろいろと至らぬ点もあろうとは思います。ま、こんな感じにいけようという意図通りではあるので、不満は無いです。
花器は、本来の用途はドンブリだったりするわけですが、手作りのワイルドな雰囲気が野の草花に合うように感じて、花器置き場が定位置になってしまいました。食器を使っていけるのは、かしこまった感じがしないし、なんだか面白くて、かなり好きです。
全景写真 [1]
いけてから考えてみた
2012年6月18日
先週いけた百合や紫陽花は、あっという間に痛んでだめになってしまいました。気温が高くなってきて、さらに梅雨で湿度も高くなってくると、生のお花にはなかなか厳しい時節だと言えます。
今日の花材は、カンガルーポー、鶏頭、紅花。カンガルーのpawです。黄、オレンジ、赤という花色のグラデーション的なコンビネーションは、それだけで安定と言うか、安泰な取り合わせです。鶏頭の葉は一般に明るい緑色ですから、それ単体でも色的コントラストが大きくなります。紅花も咲けばオレンジ色ですが、つぼみは黄緑色です。結果的に、赤〜黄系のグラデと緑グラデの色彩となりました。
カンガルーポーのカクカクくねくねした枝振りは、そのランダムさと相まって、表情がとても豊かです。折れ線、あるいはオレ線。他の花材もそれぞれ違った形の面白さがあります。様々な色とカタチを組み合わせるのはある種のパズルでもあります。
正面からの写真では良くわからないので、今日は斜めから全景も撮ってみました。小さめの角水盤に、テーブルクロスをテキトーに折り畳んで敷き布にしています。空間としては、どう見ても「和」が立ち入る余地は無さそうな感じですが、気分はあくまでも剣山で盛花だったので、和風の器を登場させました。いつも花瓶ばかりでは、ね。ちょっと変化球気味かな?と思ったけど、全体としてはそこそこまとまった風になったかな。
全景写真 [1] [2]
花と、気持ち
2012年6月11日
忙しくてどたばたしている時にいける花は、雑然としてまとまりの無い仕上がりになることがよくあります。お花には、いけ手の精神状態が反映するのだ、と言われることもあります。
実際にそういうこともあります。しかし、それが全てではありません。慌ただしい時にこそ、心を落ち着けて花と向き合おう。それは、私自身がお花を始めた頃に心がけたことでもあります。「こんなふうでありたい」と願う気持ちを花に込めて。忙しい時こそ、悠然とした花を。疲れている時こそ、元気いっぱいの花を。
花と向き合う。それっては実は、自分自身と向き合うことなのかな、なんて最近は考えています。明るく、前向きに、力を込めて、そして力を抜いて。優しく、暖かく、包み込むように、見守るように。そんなお花をいけよう。そういう生き方をしよう。
季節の花である紫陽花。そして百合やドラセナといった年中出回っている花材。けして高価なものではないです。そんな花材を使って、自分自身が元気になれるのなら、出来上がった花を見た人が少しでも明るい気持ちになれるのなら、とても素晴らしいことだよね。・・・うむ、確かに最近ちょっと疲れてるわな。
全景写真 [1] [2]
暴れる線
2012年5月30日
もうすぐ梅雨の季節かと思いきや、こちら福岡では連日過ごし易いお天気で快適に暮らしています。みなさまいかがお過ごしでしょうか。
六月が近付いてきて、季節の花材と言えば紫陽花です。一つは奇麗な青紫の花、もう一つは白だけど萼の縁がほんのりと水色ががっているもの。紫陽花は色彩のバリエーションが豊富でわくわくしますね。そして配材は、お恥ずかしながら名前を知りません。淡い紫の花と、くねくねした茎の表情が楽しそうだったので、明らかな方向性や意図が表出しないように配置しました。
いけ手のそんな思いも空しく、出来上がってみるとなんだか可愛い感じになってしまいました。写真だと分かりにくいのですが、白の紫陽花は手前にちょこんと伸ばしてあって、そういう小さな塊の表情が全体を印象付けたりするのかとも考えました。ですがやはり、配材が自由気ままに暴れ回っている様がお気に入りです。
テキトーにいけてるようでも、自分固有の感覚で手が動いてますから、これも私の花なんだろうな、と思います。花瓶は薄手の曇りガラス。敷物は前回のままのumbra社のFOLIAGE SINK LINER。
全景写真 [1] [2]
奔放なカーブ
2012年5月9日
先月末の菊はゴールデンウィークを過ぎてもまだまだ元気な姿を見せてくれていますが、さすがにずっと同じお花を飾り続けるのもちょっと見慣れ過ぎてしまうこともあり、新しい材料で別のお花をいけてみました。
少し緑色の斑が入ったカラーと、ちょっと早いですがひまわり。このカラーは、ウェーブ気味でさらにやや大きめのもの。良くあるスラリとした花姿のカラーですと、その曲線を凛とした雰囲気で使ういけ方が私的には好みなのですが、今回のカラーはそういう方向とはちょっと違いましたので、イメージワードを「奔放」と定めました。奥行き方向も敢えて前後にばらけ気味に、ざっくざっくといけ込みました。
前後左右に大きく広がっている花材を、平面の写真に切り取るのはなかなか難しい作業です。典型的な花形のいけばなであれば、あるべき花材の空間配置の記憶を元にして、平面写真から立体造形としてのいけばな作品を頭の中で再構築することは、ある程度の経験を持つ人であれば容易だとは思います。しかし、好き勝手な花形においては、その種の脳内補完が効きませんから、写真としての見た目優先で。ただ、自分でいけたとは言っても、今回のテーマである奔放さが写真で表現できたのか?という点ではちょっと不満もあります。
花器は、私が持っている市販品の中では一番高価だったOrreforsのクリスタルの花瓶。クリスタル製品のくせに、きらびやかなカットを一切施されていないシンプルさに惚れ込んで大衝動買いしたのでした。厚みがあって重いため、大きな花材をいけてもどしりと安定する様は、頼もしい限りです。そして、今回は新しい敷物をおろしました。本来は別の用途に使われるソフト塩ビで作られたキッチン用品です。umbra社のFOLIAGE SINK LINER。葉っぱの形が可愛いです。
全景写真 [1] [2]
菊、三色
2012年4月26日
今月はじめにいけたプロテアのうち、一本は枯れ枯れになってしまいましたが、もう一本は葉も茶色くならずにまだ行けそうなくらい元気だったので、再登場させることにしました。
本来は秋の花である菊ですが、今では年中入手できます。黄、白、紫の菊三種は、実は私は好きな取り合わせだったりします。以前はなんとなく葬式くさい印象を持っていて積極的に選択はしていなかった菊の花ですが、菊三種の盛花を覚えてからは、意外と良いじゃん?という気になって今に至っています。最初は黄5・紫3・白3でスタートした菊三種も、553や753に増えたりすると更ににゴージャスになって、そのスケーラビリティにめまいを覚えたりしたものでした。
ポンポン菊っぽい形のものや、グラデーションが入っているもので取り合わせています。形や色のバリエーションの豊富さも菊の面白さです。そしてなにより、けして高い値段じゃない点が嬉しい花材ですね。
全景写真 [1]
こでまり再び
2012年4月19日
いつのまにか桜の季節も終わってしまいましたが、お花屋さんで安く売られている花材の推移はそれほど急ではありません。今回もまた、こでまりとラナンキュラス。買ってきた花材はなるべく全部使いたいので、結果的にモリモリになっちゃいました。
こでまりには珍しくまっすぐ立った枝がいくつか入っていたので、それを素直に活かすように、あまり技巧を凝らさずにシンプルに仕上がるよう心がけました。緩やかなカーブを描くこでまりの枝でも、先端の花房を一つ落とすだけで曲がり具合が変わります。その花の、微妙な重さの変化で、枝としての表情を変えていくのもこでまりの面白さです。
全景写真 [1]
プロテア再び
2012年4月3日
キングじゃない普通のプロテアがまた手に入ったので、色とりどりっぽくいけてみました。オレンジ色と緑色のラナンキュラス、ピンクと淡い黄色のスプレーカーネーションと合わせました。
たまたま見付けた占いサイトによると、今日のラッキーフラワーはラナンキュラスだそうで、偶然にも程があるだろ、という感じですね。ラナンキュラスは活きが悪くなると、花びらがはらはらと落ちますね。芍薬なんかもそうですが、その散りっぷりは見事だとさえ言えると感じます。
全景写真 [1]
ご自宅用こでまり
2012年3月4日
漢字で書くと、小手鞠。名前の通り、直径5mm程度の小さな花が球状、すなわち鞠状に集成し、その鞠が枝にたーくさん連なっている感じに咲きます。見た目が可愛いだけじゃなく、枝の反りや曲がりを組み合わせて構成するのが面白くて、私はかなり好きな花材です。一個一個の花は、同じバラ科の雪柳にも似ていますし雪柳も好きな花材なのですけど、花の重みが大きい分、こでまりの方がころんとしたカーブを描くことが多いですよね。
自宅にお花を飾る時は、あまり気負わずに、低コスト(笑)で済ますこともしばしばあって、今回もどちらかと言うとそういう傾向です。こでまりの他は、昨日の残りのフリージアのみ。このフリージアの色は、私の自動車の色にかなり近くて、つまりかなり気に入っている色です。お花とのこんな出会いもあるわけです。
全景写真 [1]
邪を払いたまえ
2012年3月3日
桃の節句。桃の花は邪気を払う効力を持っているので、子供が健やかに成長するようにと桃の花を飾るようになったといいます。私も毎年、この時期には桃の花をいけています。
今年は、いつもお世話になっているご夫婦のお孫さんである小学生女子のために小作をいけてプレゼントしました。花材を買いに行くタイミングが遅れたせいか、ちょっと勢いの少ない桃の枝しか入手できなかったこともあり、桃を使いつつ春っぽい組み合わせで可愛らしく仕上げてみました。桃、菜の花、スイートピー、フリージア、レモンリーフ。
写真は、自宅玄関に旧宅から移設したPoradaのPUNXI Console Tableの上で撮っています。この作り付け用の半円形のテーブルは、残念ながら現在では廃盤となっているようです。全景写真には写っていないですが、真上から照らすようにスポットハロゲン灯を作り付けてあります。日中は右手前の窓から外光が入りますので、ホワイトバランスの観点ではちょっと条件が厳しい感じです。
全景写真 [1]
大作のいけ直し
2012年2月8日
ひょんなことから、とあるマンションのエントランスホールにお花を飾ってもらえることになったので、先週の花展で披露した雲竜柳とキングプロテアの大作をいけ直すことにしました。場所を確認したところ、幅は2メートル、高さは1.5メートルくらいは使えそうでしたが、奥行きが50cm弱なので、前方にはあまり飛び出さないように調整しました。
花材は、配材の一部を入れ替えました。カサブランカの痛んだ花弁は落とさざるを得なかったので、残っていたピンクの百合も使っています。グロリオサはもう無理かなという状態だったことと、色彩ボリュームの観点ではピンクも入れてちょうど良かったようです。2本のキングプロテアのうち片方は元気だったのですが、もう片方が乾燥気味で色も悪くなってきていたので、葉を全部落として奥床しい位置でひっそりと使いました。
全景写真 [1]
2012年1月28日〜29日
花展準備中に書いたご挨拶文〜花展チラシのウラ
2000年の夏。昼も夜も無くコンピュータに向かって仕事やら何やらやっていた私は、ふと思い立っていけばなを習い始めることにしました。週に2回、合計3時間くらいはディスプレイから離れて生身のモノに向き合う余裕が有って然るべきだと考えたのです。お花に関することすべてが新鮮で、いろいろな花材を使いいろいろないけ方を習うことは大きな喜びであると同時に、とてもリラックスできる貴重な時間でした。
とは言うものの、私もイイ年になってくると、仕事上の責任なんかも徐々に大きくなったり、出張で福岡に居ないことが多くなったりで、お稽古も休みがちに。月に1回しかお稽古できないなんてこともあり、かと言ってお仕事が減るなんてことも当面は見込めないわけで。激しく逡巡した結果、お稽古は一時休止ということにしたのがちょうど3年前。新春のつどいで諸先生方、諸先輩方、そして社中のみなさんにご挨拶させていただいて、気持ちの上でも一段落付けて…。
お稽古に通わなくなっても、たまにお花屋さんで花材を求めて家でいけたり、知り合いのお店に飾ってもらったりしていました。しかしながら、腕が徐々に落ちて行くことは、まあ避けようもないわけで、いけ終わってしょんぼりすることもしばしば。おい、これで良いのか?と自分に問う。
二度目に思い立ったのは昨年11月。ちょうど10年間住んだ六本松のマンションから引っ越すことを決めた頃でした。3年間のブランクなんか一気に挽回するくらい「お花体験」をしてやれ!と。この部屋に住み始めた時は、リビングの一番良い場所にお花を飾れるようにと、前から欲しかった作り付けのテーブルを設置しました。居室は全面改装し、自分好みのステキなお部屋が出来上がりました。この空間を離れる前に、花いっぱいで埋め尽くしてみることに決めたんです。まさに自分自身のための花展。
それでも、準備は遅々として進まず、引っ越しの用意とその実行、ルームクリーニングや改修が続きました。10年も経つと、汚れたり痛んだりしている箇所が意外に多いことに驚愕しつつ、一方では新居での生活も徐々に整えつつ、ああ今日も進捗ありませんでしたすみません、という感じでカレンダーがペラペラとめくれていく図が頭の中に浮かびつつ、けして焦ることなく、慌てることなく、着々と、じりじりと、心の準備を整えて参りました。いやいや、心の準備だけじゃなくて、ね。
今回、多くの方々にお力添えいただいたおかげで、やっと、実現にたどり着けそうなところまでやってこれました。いやホント、こりゃ大変ですわ。まだ終わってないので、大変中なう。ですね。でも、逃げちゃダメだ諦めちゃダメだと小さくつぶやきながら、準備だとか入稿締め切りだとか、時間に追われてどたばたしているわけです。こんな時こそ、一番最初に思い立った頃のことを思い出して、ゆったりとした気持ちで、かつテキパキとやらないといけないんだろうな、と改めて考えています。
ずっと放置していたwebサイトもリニューアルして、お花活動の本拠地として活用することにしました。たまに更新しますのでご覧になっていただけますと幸いです。
2012年1月 三阪英一拝
全景写真 [1] [2]
花展では全部で21作のお花を飾りましたが、写真の整理がまだ終わってないので、下のダイジェスト版をお楽しみください。マウスを乗せたりクリックしたりすると動きます。
私的花空間ラウンチイベント
[極私的花空間]展
2012年1月28日〜29日
マンション「ガイアコート赤坂浄水」(福岡市中央区六本松)
花展のチラシ
2012年1月19日
本当にぎりぎりになってしまったのですが、花展のチラシの印刷が上がってきました。持ち運びの都合を考えてA5サイズで作りました。スケジュールが厳しかったこともあって、入稿当日仕上げで頼んだので、すっごく高く付いてしまいました。
写真の花は、10本399円のガーベラ。黄色い花を使おうと考えていたので、ちょうど安く入手できて助かりました。撮影場所は自宅のリビングで、夜中にパシパシ撮りました。白い背景は、実はコタツの天板だったりします。春らしくて、優しい感じの仕上がりになったかな、と自分では満足できる出来映えです。
チラシ拡大図 [1]
始動。
2012年1月16日
ある冬の日、ふと思い付いたのです。今まで、ばらばらにやってきた好きなこと、例えば、お花をいけること、写真を撮ること、生活空間を自分好みに仕上げること、文章を書くこと、グラフィックデザイン、Webデザイン…そういったたくさんの事柄を、ちゃんとまとめておこうかな?と・・・
きっかけとなったのは、引っ越しすることを決めて、それまで住んでいた部屋でプライベート花展をやろうと思ったこと。花歴10年あまり、花展に出瓶したことも何回もあるし、その度に写真も撮っているはずなのに、今ではそのデータもどこかに埋もれてしまって掘り出せない状態に愕然としました。お花は、特に生のお花は、その姿を維持できるのは数日から長くても1〜2週間です。そして、写真はお花のすべてを記録することはできません。その一方で、写真自体は写真作品として成立するだけでなく、ほとんど永遠に残存し得るものです。
自分でお花をいけて、自分で写真を撮って、自分で全部やって。たぶん私の人生も後半戦。なんらかの成果を、なんらかの記録を、そしてなんらかの記憶を、残しておければ良いな、なんて考えています。それを何十年後かに、孫娘あたりに見てもらえたらすごく嬉しいと思うわけで。